社民党 滋賀県連合 公式ウェブサイト

キャッチフレーズ「がんこに平和、げんきに福祉、暮らしにうるおい」

原発廃棄物の乾式貯蔵を止めよ!! 11月30日高浜全国集会

「原発つづけるための乾式貯蔵NO!全国集会」が11月30日、福井県高浜町で開催され、老朽原発の再稼働にしがみつき、その延命を図ろうとする関西電力などに抗議の声を上げた。この日の行動には全国各地で反原発のたたかいを進める人たち約400名が参加した。

30日の行動では、まず高浜原発前で抗議のシュプレヒコールを繰り返す中、代表が関西電力社長あての「乾式貯蔵によって燃料プールに空きを作り、使用済み核燃料を入れることは超危険である。老朽原発の延命ではなく、原発を廃炉にして核のゴミの発生をやめよ」などを求める長文の申し入れを読み上げて会社側に手渡した。

午後は高浜文化会館に会場を移して全国集会が開催された。はじめに、主催者の「老朽原発動かすな!実行委員会」を代表して木原荘林・元日本原子力研究所研究員がミニ講演を行った。その中で木原さんは「使用済み核燃料の行き場はない。乾式貯蔵は電力会社、政府の原発延命策だ。乾式貯蔵を阻止したら原発をとめられる。眼に見え、耳に聞こえる運動で原発を廃炉に追い込もう」と呼びかけた。

そのあと、宮城、福井、山口、石川、愛知・岐阜、福島、新潟、茨城、静岡、石川・富山、京都、島根、愛媛、鹿児島などからの連帯のメッセージが紹介された。さらに、「アジア初の原発ゼロを達成した台湾からの特別報告」が行われ、「美浜原発の新増設を阻止しよう」との特別アピールが行われた。

最後に、「原発依存社会へ暴走する高市政権にNOを突き付け、原発全廃・自然エネルギーへの完全転換、人や環境が大切にされる社会をめざして前進する」との集会アピールを採択して閉会した。

この後の町内デモには、数台の右翼の街宣カーが押しかけて大音量のマイクで一斉にがなり立てた。この迷惑行為は電力会社の意を受けて、原発反対の訴えをかき消し、デモへの市民の反感を呼び起こそうとするものと思われる。

台湾有事答弁を撤回せよ! 高市政権今すぐ退陣を!

高市首相が、台湾有事について「日本の存立危機事態になり得る」と答弁した。

「今までの総理大臣が、台湾有事に関して具体的な事例として存立危機事態について言及したことは1度もない」。高市首相発言の異常さがある。

「集団的自衛権の行使、日本が海外で武力行使することを、高市首相が認めているような発言をすること自体が緊張関係を高めている。戦争をしないための外交努力こそ、日本政府はやるべきである。

中国の抗議もあり、すぐに発言の撤回を求める。

農場見学と収穫体験そして座談会

 

社民党滋賀県連は、11月15日、党員が経営する農園で衰退する日本農業の現状を学ぶため、見学や収穫体験と座談会を開いた。

この日、会場となった長浜市湖北町の近藤農園には党員やサポーターなど20名が集まった。この農園は23年前、近藤和夫さん夫婦と息子が脱サラして開いたもので11ヘクタールの土地でコメを中心にイチゴ、野菜、大豆や大麦など幅広く栽培している。しかし、経営の現状は誠にきびしい。900万円のトラクターや田植機・コンバインをはじめ大小さまざまな農機10数台の購入や何棟ものビニールハウス・倉庫の建設に1億円近くを要した。しかし年間売上高は1200万円にしかならない。経費や減価償却費を引くと100万円の赤字になる。各種の補助金、助成金でどうにか500万円位の剰余金が残るが、従事している3人の生活を支えるのがやっとという。

圃場見学やサツマイモの収穫体験の後、近くの公民館で近藤さんを囲んだ座談会 が開かれて、農業をとりまく現状が話し合われた。日本の農政は「猫の目農政」と言われる。民主党政権下では戸別保障方式で生産が保障されていたのに、自民党政権が復活するとこれが廃止され、離農が加速している。最近でも石破政権で進められようとしたコメの増産が高市政権では一転して減産に変わった。これでは農業者たちが安心して農業に従事できるわけがない。この地域でも離農する人たちが少なくなく、地域農業の継続のために近藤さんがその農地を次々と引き受けているとのこと。

近藤さんは、「コメ60キログラムが一昨年は11500円、昨年は2万円、今年は3万円だが来年はコメ余りで暴落かもしれないという。こんな不安定な状況で農業をやろうという人は出てこない」と訴え、これから必要なこととして「持続的な農業と日本の食糧安全保障の確立に向け、5年先10年先を見据えた安定的な農業政策が大切だ」と強調し、「春には増産と言いながら秋には減産と言う自民党農政に期待できるはずがない」と厳しく批判した。参加者たちも日本の農業を守っていくために、政治を変えていく必要があることを改めて痛感した。

 

高市首相「存立危機事態」発言に抗議する

 

11月7日、高市首相は、衆院予算委員会において中国による台湾進攻をめぐり集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」になり得ると発言した。

政府は、これまで「いかなる場合が存立危機事態」になるかは明言を避けてきた。しかし、今回の高市首相発言は、中国による台湾周辺の海上封鎖を想定した質問に対し、「戦艦を使って武力の行使伴うものであれば存立危機事態になり得る。」と発言したものであり、特定の国を名指しで「具体的事例」をあげた発言は、従来の首相・政府答弁から大きく踏み越えたものであり、他国との緊張感を煽り、「戦争放棄・戦力不保持、交戦権の否認」を明記した憲法九条に反するばかりか、「平和外交」そのものを否定している発言であり、到底許される発言でない。

社民党滋賀県連合は、高市首相発言の撤回を強く求めると共に抗議するものである。

大津三井寺に九条の碑を建立

大津市の三井寺に「平和と命をつなぐ9条の碑」が完成し、憲法公布記念日の11月3日に除幕式が行われた。式には建設活動を進めてきた人たち200人以上が参加し、平和のシンボルである9条の願いを人々の心の中に広げていくことを誓い合った。

4月に始まった建設資金の募金活動は県内外に急速に広がり、この日までに目標の300万円をはるかに超える600万円以上が集まった。また建設の場所はこれまでから長年にわたって平和をめざす取り組みを継続してきた天台宗総本山・三井寺の境内で、観光客も多い格好の広場が同寺から提供された。

式典ではまず土井裕章・建てる会代表世話人が「軍隊を持たない国はコスタリカをはじめ世界に20以上もある。戦力や戦争を放棄した日本国憲法第9条は世界の宝」と述べた。碑文に刻まれた文字を直筆で書いた福家俊彦・同寺長吏は「これからこの碑を生かしていくことが大切」と強調した。地元9条の会の三上章道さん(僧侶)は、「憲法をないがしろにする動きが強まる今、この碑の意義は大きい」と喜びを語った。

最後に閉会の言葉として平尾道雄・滋賀首長9条の会共同代表(前米原市長)は、高市政権がむき出しの軍拡路線を進めていることにふれ、「平和を脅かす動きには、まなじりを決してたたかおう」と力を込めて訴えた。

除幕された碑の表面には9条の全文が刻み込まれ、裏面には建設の趣旨が書かれて、「戦争の放棄と戦力の不保持および交戦権の否認」の意義を強調し、「現在に生きる私たちは平和の価値を未来の人たちに伝ええていく責任がある」として、「人々の心の中に平和の砦を築こう」と呼びかけている。

9条の碑を建設する運動は40年前に始まり、全国に3年前から急速に広がって昨年だけで15基が生まれ、今年は5月3日の憲法記念日に7基、この11月3日には山口県下関市と埼玉県狭山市にも誕生、全国で合計76基を数えるという。

 

「市民の会しが」が、立憲3野党と政策学習会 シンポジウム「税と社会保障をめぐって」開催

極右色の濃い高市政権が誕生して間のない10月26日、守山市内で「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民の会しが」主催の「立憲野党3党と市民の会しがの政策学習会」が開催された。

この集会は、滋賀における市民と野党の共闘を再建して、次の総選挙で立憲野党を中心とした護憲勢力による政権交代を実現するために企画されたもので、社民、立憲民主、共産各党の代表者や「市民の会しが」の会員など40名が参加した。

冒頭のあいさつで「市民の会しが」の斎藤敏康代表は、「国民の厳しい審判を受けて少数与党となった自民党は、主な敗因である政治と金や企業団体献金などを棚上げにし、連立の相手を公明から維新に切り替えることで、高市政権を誕生させた。しかしこの政権は、憲法改悪や軍事大国化など、戦後最も危険な政治を進めようとしている。自・維連立政権にストップをかけるために市民と野党の統一候補を擁立したい」と述べ、「市民と野党の共通政策を確立するためにまず『税と社会保障』をテーマに政策学習会を開催することになった」と趣旨を明らかにした。

まずシンポリストとして参加した立憲民主党の佐口佳恵県代表代行は、「日本にようやく女性の首相が誕生したが、その政策は国民の求めに背を向け、アメリカ追従、軍事大国化、大企業中心の経済政策など極めて危険な政権だ」と批判した。

共産党の石黒良治県委員長は「自民党が維新と結んだ合意書は消費税、裏金、企業団体献金などは棚上げにし、憲法改悪、医療費削減、軍事費2%の前倒し、スパイ防止法などをもくろみ、民主主義の根幹を破壊する議員定数の削減を明言する史上まれにみる極右・反動政権だ」ときびしく批判した。

社民党の福井勝県連合代表は「高市政権の反動的な基本政策の中でも、議員定数の削減、スパイ防止法の策定、軍事大国化路線の推進の3点を特に問題視している。公明党の歯止めがなくなった右翼的国家再編には平和と人権にこだわる社民党として断固反対していく」と決意を述べた。そして、「軍事を聖域にして社会保障費を削るなど断じて許せない。所得税の累進課税を強化して社会保障費を確保するべきだ」と強調した。

税と社会保障の一体改革については、3党からさまざまな観点で問題提起がなされたうえで、「消費税は基本的に経済的弱者により重い負担になるのに、社会保障の財源には回らず、むしろ法人税の減税や軍事費の増額に充てられてきた。当面は消費税率の削減や食料品の非課税化などを行いながら近い時期に廃止をめざす」ことを共通政策に盛り込むことが確認された。

コメンテーターの立命館大学の松本朗特任教授は「消費税の減税や廃止には、相当の時間と経費が掛かるので、即効性のある政策としては〈給付付き税額控除〉も合わせて検討すべきだ」と述べ、「高市政権の経済政策は、アメリカ追随・大企業優先・格差拡大などの傾向が強く、国民に大変厳しいものだ」と指摘した。

シンポジュウムはその後、フロアとの討論や意見交換などが熱心に行われ、最後に近藤公人「市民のしが」副代表が「政策的な議論を積み上げ、早急に市民とまともな野党の共闘を強化して、次の総選挙で野党統一候補を擁立しよう」というまとめを行った。

また、福井代表が「高石反動政権にストップをかけるために街頭へ出て訴えよう」と力強く呼びかけると会場から大きな拍手がわいた。

高市内閣の発足 自・維連立悪政に対決

社民党全国連合より【談話】

第219臨時国会(10月21日召集)の冒頭に行われた首班指名で、高市早苗自民党総裁が内閣総理大臣に指名され、高市内閣が発足した。これまで自民党と政権を共にしてきた公明党が離脱する一方、閣外協力という形ながら、日本維新の会が与党として新たに加わった。

高市首相は、閣僚時代を含め8月15日にたびたび靖国神社を参拝するなど、極めて保守的で復古的な政治姿勢で知られている。自公連立政権では、公明党が自民党の「ブレーキ」役として機能する場面もないではなかったが、自維連立政権においては、維新はむしろ高市首相の保守的・復古的政治姿勢の「アクセル」役として機能する危険性が高い。

高市政権への閣外協力に際し、維新は自民党に対し12項目の要求を行った。この内、「大阪副首都構想」と「社会保障改革」の2つは、吉村洋文代表(大阪府知事)が当初、絶対に譲れないなどと発言していた。だが、突如として譲れない条件として「議員定数の削減」を持ち出し、首班指名での維新の協力を得たいがために、自民党はこれを受け入れることにした。

しかし本来、自民党に譲れない条件として要求すべきは企業・団体献金の廃止である。ところが、自民党と維新との合意書によれば、企業・団体献金については最終結論を得るには至らず、両党間での協議体を設置し、高市総裁の任期中(2027年秋まで)に結論を得るとされていて、事実上の棚上げとなっている。そうした実情を覆い隠すために、企業・団体献金の廃止から議員定数の削減に論点をすり替えたと言わざるを得ない。

議員定数削減は、衆議院議員の1割を削減するとしており、報道によれば、比例代表の定数削減を念頭に置いているとも伝えられている。維新は、議員定数の削減を「身を切る改革」などと称しているが、削減対象が比例代表なら、むしろ多様な民意の切り捨てである。大阪府内の衆議院小選挙区の議席を独占する維新(特に大阪維新の会)にとっては、自分たちの「身を切る」ことなく多様な民意を切り捨てるご都合主義である。

また、自民党と維新との合意書によれば、9条改憲や緊急事態条項に関する両党の「条文起草協議会」の設置、衆参両院の憲法審査会への「条文起草委員会」の常設、日章旗(日の丸)を損壊する行為を処罰できる「日本国国章損壊罪」(国旗損壊罪)の制定、インテリジェンス・スパイ防止関連法制の速やかな成立などが盛り込まれている。いずれも日本国憲法の三大原則である平和主義、基本的人権の保障、民主主義を大きく歪めるものであって、断じて容認できない。この内、国旗損壊罪の制定は、表現の自由を保障する憲法21条に違反する明らかな違憲立法であり、民主主義国家においてはあってはならないものである。

さらに、両党の合意書では、国家安全保障戦略などの「安保3文書」の前倒し改定が盛り込まれており、報道によれば、防衛費を関連経費と合わせて国内総生産(GDP)比2%とする目標のさらなる増額が念頭にあると伝えられている。アメリカのトランプ政権は水面下で、日本に対し防衛費のGDP比3.5%への増額を求めているとも報じられているが、防衛費の増額は社会保障関係費などを圧迫し、防衛増税によって国民生活へのしわ寄せが生じかねないのは明らかである。

この他、両党の合意書は、「戸籍制度及び同一戸籍・同一氏の原則を維持しながら、社会生活のあらゆる場面で旧姓使用に法的効力を与える制度を創設する」としていて、選択的夫婦別姓の法制度化を否定している。高市首相は、日本の憲政史上初の女性総理となったものの、これまでジェンダーの平等や女性の権利向上に積極的に取り組んできたとは言い難く、こうした姿勢は極めて許しがたい。

高市内閣の発足は、戦後日本の平和主義、民主主義、立憲主義を大きく変質させる危険を有しており、日本の政治は危機的な状況にある。高市内閣の暴走を阻止すべく、自維連立政権に反対する野党各党と力を合わせ、高市内閣に対峙していかねばならない。社民党は、憲法改悪を企図し、さらなる軍拡と行おうとしている高市首相の姿勢に強く抗議し、政治改革の本丸である企業・団体献金の廃止に力を尽くすとともに、排外主義を克服して多様性が尊重される政治と社会の実現に向け、全力で取り組んでいく所存である。

19日投開票の社民党滋賀県連合推薦候補者、2人が当選を果たす

滋賀県下5つの市会議員選挙が10月19日投開票で行われました。社民党滋賀県連合が推薦する人たちが当選しました。
 東近江市会議員に中村和広さん、甲賀市会議員に福井進さんが当選されました。おめでとうございます。
東近江市の中村和広さんは、26名中14位、1475票で当選。甲賀市の福井進さんは、24人中5位、1926票で当選されました。「憲法改悪に反対する」他結んだ協定書の立場で市会議員としての頑張りを期待します。

滋賀県5市の市会議員選挙、東近江市「中村和広」氏、甲賀市「福井進」氏を推薦

10月12日滋賀県内5市の市議選が告示された。各市の立候補の状況は以下の通りである。甲賀市は、定数24に対して27人が立候補。野洲市は、定数18に対して22人が立候補。東近江市は、定数22に対して26人が立候補。湖南市は、定数18に対して21人が立候補。米原市は、定数16に対して19人が立候補している。
 社民党は、東近江市の立憲民主党公認の「中村和広」氏を推薦。甲賀氏の連合滋賀推薦の「福井 進」を推薦している。
 社民党滋賀県連合は、9月に「中村和広」「福井 進」の両氏と政策協定書を交わした。その内容は、①平和憲法を守り、平和憲法をもとにした市政運営に努力するとともに憲法改悪には反対する。ことを中心とした協定書である。そのほかにも、地域の課題の取り組みを交わしている。東近江市においては、「森の博物館」建設に反対する。甲賀市においては、土山町に予定されている「大規模産廃処分場」計画に反対をする。を協定書に入れている。
 自民党の政治にNOを! 市民生活に必要な税金の使い方を! 私たちはともに求めていく。

「平和のための写真展」ひらく 戦争体験の継承をめざして

 

戦争体験の風化を防ぎ記憶を未来に語り継ぐために、「平和のための写真展」が党県連の主催で10月4,5日に開かれ、約80人の市民が参加した。明日都浜大津の大きな会場には、広島・長崎の惨状、南京などで日本軍が行った殺りく、最近のガザの状況などのパネル写真のほか、81年前の瀬田国民学校女生徒たちが描いた絵日記、その絵日記を描いた少女たちの座談会の映像と証言、さらに満州からの引揚者の必死の体験談など多彩な企画が繰り広げられた。

開会にあたって福井勝・県連合代表は「戦争を食いとめ平和も守っていくためには、子どもたちに戦争の実相を伝えていくことが大切」とこの写真展の意義を述べた。

絵日記は、敗戦直前の一年間、5年生の7人が毎日の学校の様子を描いたもので、軍国主義が学校教育を色濃く染めた状況が描かれている。188枚の絵日記は担任の故・西川綾子先生の手で密かに保管されていたが、その後、大津歴史博物館に寄贈され、戦争を語る歴史的資料として大切に保存されている。企画展にはうち32枚のコピーが展示された。

11年前、生存している5人による座談会が開かれ、その様子がNHKスペッシャルの番組に収録された。会場ではその映像が繰り返し上映された。

 

その一人の内田喜久子さん(92)の証言も行われた。内田さんは絵日記の説明を通して戦時下の学校の様子を説明した。B29の襲来のたびに空襲警報が出されたこと、疎開してきた都会の子どもたちとの交流、近隣の人が招集されるたびに万歳をして送り出したこと、食糧難のために学校で芋を作ったことなどを述べた。参加者からの「戦争に勝つと思っていたのか」という質問には、「そう思い込んでいたから、負けたことはとても悲しかった」。「撃ちてし止やまん」「鬼畜米英」「神風特別攻撃隊」などの勇ましく戦争を語る言葉が絵日記の随所に書かれていることについては、担任の指導ではなく軍国教育の中でごく自然に覚えたと説明した。最後に、「戦争だけはやっていけない。子どもたちを悲しませるだけ」と訴えた。

 

満州からの引揚者である黒田雅夫さん(88)は、必死の脱出から辛うじて帰還した経験をつぶさに語った。

満蒙開拓団として国内各地から集団移住した人たちは27万人。黒田さんは終戦の前年に家族4人で渡満したが、父親は現地で軍に招集された。敗戦とともに満州全土から引揚げることになった人たちは220万人にも及んだ。それまで日本軍に抑圧されていた現地の人たちの怒りが開拓団に向けられた。突然襲来したソ連軍の蛮行もあった。それらから逃げ延びることができず悲惨な結果になった人たちもいた。家族を失って孤児となった8歳の黒田さんは路上生活をしていたが、幸いにもキリスト教関係者に保護されて日本に引き揚げることができたという。

最後に黒田さんは、「どうにか生き延びることができたから今ここで平和を語ることができる」と述べ、「戦争は絶対だめだと改めて思う」と結んだ。

黒田さんは、中学校教員である子息の毅さんと共に各地の小中学校、高校、大学の平和教育で若い人たちに、「戦争の語り部」として平和の大切さを訴えている。